心技体
今回のブログは正直言って、
言いたいことが上手く書けない可能性があることを最初に断っておく。
よく「『心技体』が一体となる」という言葉を耳にする。
特にスポーツ、武道などに用いられる。
しかし私の経験から言うならば、
もともと「心技体」というものは常に一体なのではないだろうか、と思う。
「病は気から」と古来からの日本人は言ってきた。
体と心は常に一体なのだと思う。
そうして、その体と心があって技が備わる。
思うように体が動かないという場合がある。
それは心と体が離れているからではなく、
むしろ心と体が一体だからこそ、産まれる現象なのではないか。
もちろん障害者といわれる方々は分ける必要はある。
天才打者イチローは
「私にとってのスランプは結果が出ないことではなく、
イメージしたとおりに体が動かないこと」と言った。
しかし、私が思うに、逆説的に言うと、
イメージしたとおりに体が動かないことをイチローの心が捉えているということ自体、
それはもう「心技体」は一体であるということの証明なのではないかと思う。
世の中の人間、全て「心技体」は一致しているのではなかろうか。
心が揺れているとき、迷いがあるとき、体も、技もキレが無く、調子が悪い。
体の調子が悪いときは、心は惑い、技も出るはずがない。
一般的に「心技体」が一体となった、と言われている事象は、
それが一般人から相対的に見て、
高いレベルで結果を残せた場合に使われるだけであって、
(または自己の求めるレベルに達した場合)
我ら凡人も常に「心技体」は一体なのではなかろうか。
堕落した人間も心、技、体は堕落したところで一致しているのである。
周りを見渡して欲しい。






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